府中・浅間町

本日、府中市の浅間町にある法務局の事務所に出向く。会社の住所変更のため、何が必要かを確認し、書類を受け取るため。武蔵野市の法務局は以前は武蔵境にあったのだが、8市ぐらいがまとまり非常に不便な場所に移転した。
役所仕事は面倒で沢山書類つくらなければならないのだが、これも地底商品を i-tunesでの 配信に向けて必要な作業。

久住昌之さん「ミュージコミクス」の楽曲や南波トモコ「おっぱい」「渋さ」関連の楽曲配信に向けて、病気から復帰したのだからやらなければならない。ハドソンの担当者は辞めちゃって札幌で店開くし、OTOTOI は何故だか相手にしてくれないし、多分こちらも誘ってくれた担当者の社長が交代したからでしょう、ならば i-tune で配信出来たほうがイイでしょ!

その帰り道に近くなので、35年前に住んでいた米軍ハウスが現在どうなっているかを見に行くも、さすが35年も経つと廻りの環境は全く様変わりしている。
10数件あった米軍ハウス跡は当時と同じ建物が4〜5件残ってはいるものの、私たちが住んでいた場所には新たな家が建っていた。世話になっていた隣人で、後に長野の坊主の家の床に埋められ殺されていた、元祖・細密画イラストレーターの方の家も新たな家に変わっていた。

35年の歳月・月日とはこんなものかな。
多磨墓地の真横で環境が良かったが交通量が凄まじい。ちょっとその地まで足を運べなかったが、よく遊んだ警察犬の育成施設は今もあるのだろうか?

私は京都から東京に出て来た時最初に降り立った地は、西武・是政線の多磨墓地前なのである。それから多磨墓地をはさんだ浅間町に移動し、アメリカに渡る前のコック見習い時に10ヶ月間ハウスに住んでいた。

以前何処かに書いたカルコと言う奴が数ヶ月居たことを思いだすことから、村八関係のコミューンだった気がする。10人ぐらいが住んで居たように思う。女性2人に男性が7〜8人(ドイツ人1名)+子供1人、みなさん、今どのように過ごされているだろうか。1人だけ吉祥寺のマザーグースと言う喫茶店の家具を作っていた人は、伊豆にいるのがわかってはいるのだが。一緒に住んでた女性の息子のイカ太郎君が東大に進んだのは聞いた。

家賃は1人1万5千円で朝飯付きだったような気がする。余りに懐かしいことを思いだす、府中市浅間町散歩であった。


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