副島さんの最期から2番目のフェイスブック投稿

あまりに、最後のメールの反響が大きかったので、最後から2番目に残した彼の想いを掲載させてもらいます。実は私も初めて知りました。
彼のフェイスブックに載っていた文です。フェイスブックが見れない方はどうぞ。

彼の最後の文章は5月30日付けでしたが、その前の5月14日にこの文はありました。
彼が生前、何を読み、何を学び、どのように彼に影響を与えたかが読み解けるのかも知れません。この博識ぶりにはただただ恐れ入ります。

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(5月14日フェイスブックより)
我が家の本棚は、小説、画集、写真集などより評論本が圧倒的に多い。それらの書籍を若き日から今日まで読み耽っていたことは、今の私の思考・発想の血となり肉となっていると思う。そんな想いで書棚を見回していたら、批評への遍歴を改めて辿ってみようと思いに駆られた。自己再検証である。

中学2年の時、福田恆存著「太宰と芥川」(1948年刊) に巡り会った。その華麗な文体と切れ味は、”作品を越える批評というものもある” という言葉を想起させられて、私は批評への地下階段を降り始めた。ただその後の福田氏の著作には、私にはあまり感動をもたらすものはなかった。

それから間もなく、古本屋で見つけた滝口修造著「近代芸術」(1938年初版) は、長く私のバイブルとなった。キュビスム、ダダイスム、抽象芸術、シュールレアリスムと、当時の最先端の諸芸術の紹介、解説、論評がキラキラと書き連ねられていて、眩いばかりの評論集だった。今はそのオリジナル判は手元にないが、確かA6版ほどのサイズで茶褐色のハードカバーのものだったと思う。奇妙なのは、芸術前衛の評論本なのに、三笠書房が刊行した唯物書全書中の一冊であったことだった。ともかくその頃の私は、何処に行くにもこの本を持ち歩いていた。

批評の地下室に降り立ったら、避けては通れないのが近代批評の開祖と云われた小林秀雄。彼の処女評論「様々なる意匠」(1929年初版) で、文学状況をアナリーゼする方法は学んだが、難解とされる「無常ということ」(1946年刊) は若い私にはその深さを読み取ることは出来なかった。

二十歳前後の私の前に颯爽と登場したのが花田清輝だった。マルクスとランボーの弁証法的統一。「復興期の精神」(1946年刊)「錯乱の論理」(1947年刊) 等の該博な知識と華麗なレトリックに、私は夢中になって何ども繰り返して読んだ。

それからおよそ10年後、新しいスタイルを持った批評が、芸術の各ジャンルで次々に登場してくる。名付ければ”新批評”。おなじ頃にアメリカでも”ニュークリティシズム”とよばれた世代が勃興していた。(いや、海外の批評動向については別の機会に語ろう)

文芸評論の服部達は第三の新人世代 (安岡章太郎、吉行淳之介、庄野潤三、山川方雄等) に属する唯一の批評家だった。「われらにとって美は存在するか」(1956刊) 一冊を残して、死の山と称される月山に入山自殺した。34才だった。私が彼の論旨に大きな興味を引かれたのは、”メタフィジック批評の旗の下に”と云う斬新なアプローチにあった。しかし、そのマニフェストに花を咲かせることなく亡くなったのは本当に惜しい気がする。

新批評派では、著書は残していないものの硬派の評論誌に執筆していた人たちがいた。野島秀勝の葛飾北斎論は文芸論的なメソッドで美術を論じたのが強く印象に残ったし、戦後派の最も若い批評家と呼ばれた中田耕治のフランス現代演劇についての紹介・論評には興奮させられた。

そして現代美術のジャンルでは、数人の若い世代の批評家が、あたかも批評革命とでも云えそうな活動を開始した。針生一郎、瀬木慎一、東野芳明、中原祐介、ヨシダ・ヨシエ等。作品や作家に向かう彼らの姿勢は、私自身に大きなヒントになるものであった。著書として一つ挙げれば、東野芳明の「グロッタの画家」(1957年刊)だろう。

映画批評家では佐藤重臣だろう。彼は暴力、ポルノ等それまでの映画界でタブーとされていた作品の中から、新しい映像表現の可能性を取り出して行く批評を敢行したのだ。また、映画のみに留まらず、演劇、舞踏、音楽、TV等のジャンルにも目配りが利いていた。”アングラ”という言葉も彼の創作による。私とは高校生時代からの付き合いで、文字通りの竹馬の友であった。「祭りよ甦れ !」(1997年刊) はかれの死後に纏められた著書である。

現代音楽畑からは、本来は作曲家である松平頼暁の「20・5世紀の音楽」(1982年刊)を挙げたい。現代の作曲家の創作技法の克明な解析は素晴らしいものだ。松平氏とは公開対談を二度行って、意気投合したものだった。

それからジャズ評論なら、やはり平岡正明だろう。彼が論ずるカテゴリーは演歌から文学、社会状況論と幅が広いけれど、出発地点はジャズだった。だから数多くの著書はあるが、比較的初期の「ジャズより他に神はなし」(1971年初刊) 、最近刺激的だったのは「毒血と薔薇」(2007年刊) である。平岡とは彼の晩年になってから互いにエールを交換する仲になった。最近気づいたのは、彼の切れ味のある文体と特有のレトリックが、何処か花田清輝を憶わせることだ。彼の生前に聞く機会を失したのが残念だ。

振り返れば1970年代、私は栗田勇を追っていた。「紅葉の美学」(1973
年刊)、「一遍上人ーー旅の思索者」(1977年刊)、「冥府の旅」(1979年刊)等など。私が日本論に大きく傾き始めた頃だった。

そしてこの十年、熱読しているのが加藤周一である。「日本文学史序説」(1975年刊)、「日本文化における時間と空間」(1996年刊)、それからたったいま取り寄せ中なのが「日本美術の心とかたち」。私が二十二、三才の頃東大で行われた加藤周一氏の一般公開講座に行ったことを思い出しながら読んでいる。ちなみに私が文士、批評家の講演会に行ったのは、上記加藤周一氏と花田清輝氏のただ二人だけだった。この二人は、いわば私の知的アイドルなのであった。

表紙の写真は彼の家の書棚、ローレン・ニュートンさんとの東京でのランチ
下は、多分メールスでの川下直広さんとご夫妻、そしてロシアでくつろぎのビールを1杯

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